久々です。
ネトゲブログでしたが、もう一切ゲームというものはやってません。
日々仕事と考え事をしたりそんな日々です。
読者の方がまだいらっしゃるか解りませんが、なぜか日記を書きたくなってきたので、再び独り言を綴らせて頂きたいと思いキーボードを手に取りました。
何故また日記を書いたか・・それはきっと今の自分の思いを外に出せる場所もなく、昔から自分の感情を他人に吐露する人間でもなかった自分なのですが、でも心の中に置いておくとスッキリしないという表現が正しいのか口や文字で書き出したい自分がいるんだと思います。
でも、何もかもを急にここに書いたところでこれを読んでくれた人が理解できないかもしれません。
本当、自分は都合のいい人間だなぁとつくづく思います。
文字を書いていくと、自分の固く結んでいる心の紐を一つ一つほどいていくように、自分の心の中の本心というものがすこしずつ見え始め、それを認めたくない!というわけではないですが自分の本当に恥ずかしい部分なのでそこまで赤裸々にしたくないっていう自分もいたりしてイヤになってきます。
そんな気持ちで書いている日記ですから、快く思われない方もいらっしゃるかもしれません。
ですが決してふざけた思いで書いているわけではない事は、それだけはわかって頂ければ幸いです。
さて、題名にも書いた話です。
実は身近な人が昨年に重病の末期である事が知らされました。
2011年の9月に入った頃でしょうか、本人は元々我慢強く自分の弱い部分を周りにみせたりすことも無く感情の表現が下手な頑固な人でした。
そんな人間が『お腹が痛い』と一ヶ月前頃から我慢をしてうた腹痛がもう我慢の限界に来て病院にかけこみました。
最初は小さい病院に・・市民病院を紹介され内蔵の腫瘍が原因である事を告げられるが、市民病院では治療ができないとの事で大学病院を紹介され(本人の希望もあり)関西ではそこそこ有名な大学病院へ。
当人の年齢はまだ50代まだまだ現役の仕事人間でした。
大学病院で詳細な検査を始め、しばらく入院・・
結果は ステージⅣの胆嚢癌でした。
発見した時には既に手の施しようのない状態で、余命半年と言われました。
9月の中頃だったと思います。
この時、2週間前までは普通に仕事していた人です。
信じられますか・・でも現実なのです。
しかし、全く何もしないというわけではなく一つだけ可能性は残されていました。
病気が治る可能性は限りなく低い・・しかし、延命の意味もあり少しでもQOL向上の為の投薬療法です。
ジェムザールだったと思います、週に一度の点滴による処置です。
それから、状態をチェックし胆管が腫瘍で塞がっているとの事で黄疸がでており、胆管と十二指腸を繋ぐ為のステントをいれました。
黄疸の為ビビルビン?だったかの数値が下がらないと投薬治療もできないとの事だったのでまずはビビルビンの数値を下げるところからでした。
本人は仕事は休みをずっととりましたが、体調の良い時が続くと退院し趣味の温泉だとか会社の人とお茶したりと普通に生活を送っていました。
そして、10月初旬頃には黄疸の症状もなくなり週に一度の治療を開始。
しかし、普段のガンによる痛みはあるので、オキシコンチンやらオキノーム(錠剤)やらの一種の麻薬による鎮痛処置は並行してずっと行なっていました。
そして、ちょうど同時期に姉の結婚式がありなんとか当人も調子良い状態でもあったので姉の式にはでる事ができました。
当然病気が判る前から婚約していたのですが、本当に良かったと思います。
10月-2012年1月頃までは体調の善し悪しは波があったものの、治療も続けながらそこまで容態に変わり無く過ごしてきました。
僕も正直、「余命半年って言われたけど、まだ数年はいけるんちゃうんやろか」と思ってた位です。
でもね、それは僕が判ってなかっただけで病気は徐々に当人の体を蝕んでいたのです。
いや、僕も判ってたんですよ。気づかないフリをしてたのかもしれません。
気づいていたけど認めたくなかったのかもしれません。
薬が最初は5mg・・そして10mg・・20mg・・40mg・・80mg・・・
すごくきつい薬です。
でも、もうこれ以上増やせないって状況まで来ていたんです。
僕は不器用な人間で、正直なんでも話せる明るい家庭で育ったとは言えなく、当人になんて声をかけてやったらいいのか、何をどうしてやったらいいのかもわかりませんでした。
だから、病気の進行がわかっていながら気づかないフリをしてなにもしない自分を擁護しようとしてたのかもしれません・・本当に卑怯です・・
そう、いくら現実から目を逸らせていても、積もり積もった現実と対峙しなければならない時が来るんです。
少し話は逸れますが、同時期に起こった話です。
12月の末に19年連れ添った柴犬が亡くなりました。
老衰でしたが、愛犬の危篤を知り姉も家に帰っており、家族全員に看取られて天に召されました。
自分が小学低学年から一緒で僕の思い出はその柴犬がいないということはありませんでした。
一緒に遊んで一緒に大きくなってきた愛犬です。
翌日に火葬してやり、庭の花壇に埋めてあげました。
動物とはすごいパワーがあります。
会話がない家族でも、ただ犬一匹いるだけで会話が弾みます。
犬の死に伴いみんな悲しみを感じ、また当人の病気の事もあり家内は沈んでいました。
それを見かねた当人が「犬を飼いたい」と言い出したのです。
しかし、つい数日前に愛犬が死んだばかり・・もう少し時間が経ってからという話が出ました。
ですが、(当人も時間がないことに気づいていたのでしょうか)当人は「今すぐ欲しい」と我儘を言いモメる事もありましたが渋々承諾して、新しいワンちゃん(トイプードル)がやってきました。
世話は当人がするとの事で、周りが躾などについて口を出すと自分のやり方があるらしくなかなか周りの話を受け入れずごちゃごちゃっとなる事もありました。
結局、ほかに人はできるかぎり口を出さず当人にまかせる事になりました。
1月中頃に新しいワンコがきて、2月初旬までは当人がボール遊びしたりカットに連れてったりご飯をやったり、元々コミュニケーションがあまりとれてなかった私たちですがワンコのおかげで当人がすごく楽しかったようです。
しかし、2月の初旬を過ぎた頃から状況が大きく変わってきたのです。
続きはまた書きます。