真実と事実について考えてみた。
Wikipediaより一部抜粋
分野に依って扱い方が異なるとの事で、哲学分野より。
哲学分野では、真実は重要な考察の対象となっている。たとえば、
- 「真実は複数あるが、事実は1つしかない」のようによく言われる。多くの場合、真実は事実に対する人の評価(真偽)を伴う。そのため、しばしば、「信念」や「信義」と連関することがある。その意味で、真実はカントの言う権利問題である。真実および事実は認定が必要である。裁判所における「事実認定」には、カントの言う事実問題における認識のほか、同じく権利問題における認定を伴う。権利問題のクラスにおいては、真実は人によって認識(認定)が異なるとするのが通常である。しかし、事実問題のクラスにおいて見ると、1つであると通常は考えられている事実も、一義的なものではないとされる。
この理論でいくと、事実は一つ、個々の主体に依る各々の解釈は真実ということだろうか。
以前、問題が生じた際に事実確認を行ったが、事実はなかった。
が、真実はあった。
私は、「事実はなかった。」と伝えたら、納得されていない様子だった。
あなたが受け取ったのは真実です。ですが事実ではありません。とお伝えしたほうがよかったか。
話がそれた。
この事柄については生活している上で考える事が多いと思う。
「自分はそんなつもりはなかったが、相手はそう受け取った。」的な。
この場合ってどうなんだろ、相手方が受け取った事は真実だろうけど、本人の意図しない形で伝わった場合は、事実は真実と異なると言い切っていいのだろうか?
いや、ここでの事実・真実の使い方は間違っているのだろうか?
言葉は難しいが、上手に言葉・表現を用いればより詳細に自分の気持ちを伝える事ができるだろう。
流行りの伊坂幸太郎を良く読んでいたけど、分類的には色々な意見があるが、ラノベ小説と言っていいのかなと思ってしまう。
流行りの本はストーリーを読む。
著名作家の本は字・文を読む。
これくらいの差はあるとおもう。